年頭のご挨拶


年頭のご挨拶

児童デイサービスセンター 悠悠クラブ
施設長 山田 眞由美

 
 2021年の始まりです。今年は視点を変えて、地球のこと、みんなのこと、未来のことを考える一年にしましょう。その道しるべとして、「SDGs」を紹介します。

 SDGsとは英語の「Sustainable Development Goals」の略です。日本語では「持続可能な開発目標」といいます。「ずっとこの地球で生きていけるよう、みんなが幸せでよい社会を作ろう」という取り組みです。2015年、国際連合に加盟する193か国が加盟し、2016年から始まりました。17の目標を定め30年までの達成を目指します。「誰一人取り残さない」をキーワードに、多くの人が目標達成に向けて取り組んでいます。

 そして、もう一つ。新一万円札の肖像画に決まっている「渋沢栄一」について紹介します。

 渋沢氏は、1840年、武蔵国血洗島村(現在の埼玉県深谷市)で、染め物に使う藍玉の製造・販売なども営む農家の子どもとして生まれました。幼いころから家業を手伝い、年の離れたいとこから論語などの学問を学びました。子供のころから勉学にいそしみ、努力を惜しまない人だったと言われています。

 16歳になると取引先の集金、藍玉の販売ルートの新規開拓など、ますます家業に精を出しました。23歳のころには、パリ万博の幕府使節団の一員としてヨーロッパを視察、資本主義経済を目の当たりにし、明治政府に招かれて大蔵省(現在の財務省)で新しい国づくりをしました。そして、退官後も実業家として日本初の民間銀行、第一国立銀行の設立に尽力します。そのほか、鉄道や紡績、製紙、汽船など500以上の会社に関わり、91歳で亡くなるまで日本経済の礎を築きました。「日本資本主義の父」と呼ばれる由縁です。

 その一方、生活に困っている人を助ける養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の事業拡大に尽力し、商業教育や女子教育の重要性を説き、東京高等商業学校(現在の一橋大学)や日本女子大学校(現在の日本女子大学)などの創立にも携わりました。生涯で600以上の社会事業に関わる偉業でした。

 このような渋沢氏の生涯には、私利私欲を捨てた「人のために」という生き方がありました。豊かな国づくりには人材が何より大切とする考えから、経済力を高めると同時に、福祉や教育、社会格差の解消に力を注いだのです。「全ては人のため」― 論語に学んだ経営哲学でした。

 コロナ禍といわれてから、もう一年が経とうとしています。私達がその生活様式を転換しきれないうちに、ウイルスは変異株となって新たな問題を突き付けてきました。私たちは、この現実にどう向き合うか。自分本位のままでは、変幻自在なウイルスに勝てそうもありません。

 今から始められる「持続可能な未来」のための行動。それは、人のため、みんなのためにという、「心の様式転換」からスタートします。
心も体も健康で。一日一日を大切に過ごしていきましょう。



悠悠クラブ